ADHDの可能性が濃厚らしい(日記帳を兼ねて)

ADHDの可能性が濃厚だと診断されたので、自分の記録を兼ねてブログをつけてみようかと思いました。病状etc、参考になれば幸いです。過去のこととかも忘れないうちに書き留めておきたいなと。

8/27 今までの話。

はじめまして。りえです。いまは大学一年生をやっています。

表題の通り、この前精神科でADHDの可能性が濃厚と診断されました。

自分の大学で「当事者研究」という研究分野にいる教授の方にお話を聞くことができ、いつかそのような分野で働けたらいいなと思い日記をつけ始めることにした次第です。

また、それを公開することで似たような経験をしている方の一助となれば良いと考えております。

 

というわけで、簡単に箇条書きで、今までの話。

 

・小学校入学前くらいの頃 貧乏ゆすりが目立ち、親に軽い苦言を呈されることが増えた。

・小学校一年生の頃 周囲とうまく溶け込めず、いじめられることが多かった。集団の中にいると一つの音に集中できず、様々な音を同時に拾ってしまうため、よく周囲の言葉を聞き返しており、集団で会話するのが苦痛だった。(これらの現象はいまでも続いている。)

・小学校三年生の頃 教室でじっとしていることが苦痛になり、教室に入ると時折めまいや呼吸困難を起こすように。(おそらくパニック症状。)

・中学校一年生の頃 授業をおとなしく聞くことができず、先生のうち何人かと頻繁に喧嘩するようになった。体育や合唱の練習の時間にじっとしているのが大変だった。

・高校二年生の頃 教室内でのめまい・呼吸困難が悪化。

・高校三年生の頃 式典でじっとしている際にもめまい・呼吸困難が発生。貧血気味なのも相まって、式典中に倒れることが増えた。卒業式は欠席。

 

ここまでが今年に入るまでの流れです。ここから今年。

 

・4月頃 教室でじっとしていることの苦痛、大学内を歩くときにたくさんの音を拾ってしまうことの苦痛、またそれ以外のストレスなども相まって抑うつ状態と不登校に。

・5月頃 ADHDを疑い始める。以前から親に示唆されていたことではあったが、不登校故に真剣に考え始めるようになった。自分の大学のバリアフリー支援室というところに相談に行く。映像授業の導入を検討してもらうことになる。

・6月頃 精神科にかかる。映像授業は厳しいとの返答。その後バリアフリー支援室とのコンタクトは途絶えている。

・7月頃 検査結果よりADHDの可能性が濃厚と判明。

・7月下旬 処方された薬が合わず定期テストを欠席。

・8月上旬 コンサータ服用。吐き気・食欲不振等の強い副作用により日常生活を続けることが困難になったため服用中止。(個人差あります。副作用がないひとはないそうです。)とはいえコンサータ自体の効き目は実感した。いままで座って勉強するのがとても苦手だったが、コンサータ服用時はいくらでもじっとして勉強することができた。

・8月下旬 感覚過敏の制御を目的として、エビリファイ服用。身体を起こしていられないほどの吐き気と頭痛が続き、服用中止。吐き気は一日半ほど続いた。エビリファイ自体の副作用か、単なる病気なのかがはっきりしないため、別日にエビリファイを服用してからもう一度確認をしようかと思っているが、予定が詰まっておりなかなか機会が訪れない。

 

簡単に覚えている限りでこんな感じです。

変化があればまた更新します。