ADHDの可能性が濃厚らしい(日記帳を兼ねて)

ADHDの可能性が濃厚だと診断されたので、自分の記録を兼ねてブログをつけてみようかと思いました。病状etc、参考になれば幸いです。過去のこととかも忘れないうちに書き留めておきたいなと。

Twitterという、危険な相談媒体

こういう投稿が多いからか、Twitter精神疾患関連の相談を受けることがたまにある。

別にそれ自体はなんら問題ない。

けど、最近はいろんな事情を考えて、一定程度の条件を満たさない場合、断ることにしています。なぜか。

 

それは、個人的に、あまりTwitterで相談する/されるが多くなると、相談者にとっても相談される人にとっても悪い影響が大きい気がしているからです。

 

それについて、相談されてから個別に断るよりも、一度いろんな人に見える場所でまとめた方がいろんなところに親切かなと思ったので、書いてみる。あと一度みんなにも考えてみて欲しいので。

 

1. Twitterで相談するということ

Twitterで人に精神疾患について相談すること」が孕んでいる危険性は、大きく分けて2つあると考えている。

(※ここで言う「相談」は、リプやDMで誰かに個人的にコンタクトをとって相談する行為のことであり、「誰か教えて〜」とツイートする行為は全然別です。)

 

A.専門性の不在

精神疾患ってもともと病院で専門家が対応にあたっているものなんですよね。この世にあまりに多すぎるのでたまに忘れるけど。

そして、一歩対応間違えると、人、死ぬんですよ。平気で。

別にSOSを専門家以外に出すこと自体はいいんだよ。全然いいんだけど、専門家でもない他人が100%面倒みきれるもんではないよって話。

 

あとは素人診断が危険になるケースもまああるんじゃないのかなって思う。心身ともに悲鳴あげてるのに周りが頑張らせちゃうとかね。

 

B.対価の不在

精神疾患ってもともと病院で専門家が対応にあたっているものなんですよね(2回目)。

つまり職業って形で金もらってやってるものなんです、本当は。それくらい対応する側は負担が重かったりする。

でもTwitterだと対価なしでリプやDMって形で気軽にいけちゃう。全然知らん人でもね。

 

さて、次はこの2つがどうまずいと私が考えているのか、相談者と支援者に分けて説明します。

 

2. 相談者が抱える危険性〜依存〜

相談者が抱える危険性は、端的に言うと「依存」かなって思います。

 

注目したい点はおもにBの「対価の不在」の方。

専門家に縋る場合はさあ、お金かかるし時間も決まってるから、ある程度自分の中で割り切れる。それにお金とってるから相手も確実に対応してくれるしね。

 

でも、SNSみたいな「コミュニケーションサービス」だと、まず「リプ/DMを送った時点で、返事が返ってくるはず」って期待することが多いよね。でも、「リプ/DM送ったのに返事がこない」ってなったら?

結構不安になりませんか?

しかも相手も対価もらってるわけじゃないので、応答義務もない。確実に対応してくれるわけじゃ全くない。

 

この、期待や不安で揺れる感じが割り切れなさを生んで、相談者をぼろぼろにしていくような気がするんですよね。何回かそういうケースも見てるし。

 

無論、Aの「専門性の不在」が相談者にとって危険なのは言うまでもないと思います。

 

3.支援者が抱える危険性〜疲弊〜

説明する必要ないですね。疲れる。それだけです。

 

あとは共依存ずぶずぶとかも普通に怖い。共依存っていうのは、端的に言うと「相談される自分」みたいなもので自分を支えてしまうことで、何が危険って、支援者もぶっ壊れるし相談者が相談しなくなると支援者が不安になってしまって、純粋に相談者の幸せを願えなくなっちゃったりする。

そうするとどっちも人生犠牲にしちゃうからね。しんどいよ。

 

4.じゃあどういう条件で引き受けているのか

ここまで読んだあなた。

 

「そんなこと言われたら怖くて相談できねえじゃねえかよ!!!!」

 

はい。ごもっともです。ごめんね。

でもやっぱり、基本は専門家(精神科医やカウンセラー)に行った方がいいと思う。素人、それもTwitterで知り合っただけの人をずっと頼りっきりにするのは危険だよ。相談者にとっても支援者にとっても、あんまりメリットはない。

 

ただ、こういう条件を満たした場合、Twitter上の非専門家でも相談した方がいいと思います。というか、これのどれかを満たした場合の相談は無下に断ったりしないので、なんかあったら声をかけてほしい。

 

①リアルの友人

もちろんおけ。私も普段から相談に乗ってもらってるしね。リアルの友人はよほどのことがない限りなんとなく対価を提供し合っていることが多いし、複数人でのコミュニケーションを取ることも多くて、なんかあったときに共通の知人に助けてもらうこともできるから、そんなにやばいレベルでずぶずぶになることは多くない。そういう意味でのリスクはだいぶ低いと思う。

ただ、友人だとしても、もし行ってなくて状況がやばそうなら精神科を勧めはする。

 

②どうやって専門家にかかればいいのかわからない場合

わかるよその気持ち〜〜〜〜〜!!!最初に行くの結構しんどいんだよね。

どこにかかったらいい?どうやって予約とったらいい?何を持って行ったらいい?みたいな、最初の一歩にかかる不安がある場合は、些細なことでもぜひ相談してもらえたら嬉しい。知ってる範囲で返事するし、わからないことは一緒に調べて応答します。

 

③どこかで吐き出さないと死にそうな場合

多分何もコメントできないけど、ただ聞いてほしい、聞いてもらわないとどうにかなっちゃいそう、ってときはいつでも聞きます。

ただ、友人ではない人が相手の場合、本当に聞くしかできないと思う。だって素性知らんもん、無責任なことはそうそう言えん。

 

④なんもわからん!!!みたいな混乱状態の場合

まず質問とか相談の形すら取れない場合ね。こういう場合も、適切な質問・相談ができるようになるまで話を聞くことはできるよ。

まぁ、質問・相談の体をなしたら専門家にかかりなね、ってことになるけど……

 

 

以上。長文失礼しました。

ちょっと脅しっぽくなっちゃってるところもちょいちょいあって申し訳ないけど、多分、みんな少し真面目に考えた方がいいと思うの。取り返しつかなくなる前に。

なぜIQ高いほどコミュ障と言われがちなのか

唐突ですが。

 

勉強ができる人にコミュ障は多い」ってよく言われません?

東大生、よくコミュ障呼ばわりされてきた人多いような気がします。

かくいう私も結構言われてきたし、自分でも自分のことコミュ障って思ってます。

 

でもいろいろ人間観察してて思ったんですよね。

 

別にみんなコミュニケーションは上手くなくね?

 

もちろん、とりわけ上手い人はIQ問わず一定数いるよね。話振るのうまかったり、相槌打つのうまかったり、話面白かったり。

でもそういう人って一握りで、多分だいたいの人は「普通」なんですよね。

いわゆるウェイとかそういう人でも、いうなら「きょどってないだけ」でコミュニケーションにはだいぶ失敗している印象(失礼ながら)。側から見てると「お前それ言ってええんか」みたいなこと言ってたり、他人の言った話とだいぶずれた返答してたりする。

っていうか、失敗というよりは、たぶんそれが普通なんだと思うんですよ。コミュニケーションを全部成功させるのってめっちゃ難しい。音ゲーでフルコンとるのが難しいみたいなもん(?)。

 

じゃあなんで東大生をはじめとした頭がいい人はとりわけコミュ障って呼ばれやすいんだろう?って考えてたんだけど、

色々理由はあるものの、大きな理由の一つとして

 

「頭いい人は、人より多くの『コミュ力』が要求される」

 

っていうのがあるんじゃないかなーって、最近は思ってます。

 

 

 

IQ20離れてると、会話合わないっていうじゃないですか。あれTwitter見てるといつも本当か嘘か論争になってると思うんですけど、個人的には結構本当な気がしています。

 

ここで自分語り挟みます。

 

昔精神科で試験を受けたんですが、私のIQ136だかなんだかそれくらいだそうです。(といっても、東大生にしては低いような気がする)

父は受けてないですが、多分まあそんなもんです。

 

それに対して、母はたぶん100とかあっても110とかそれくらいかな?って感じ。

 

で、私と父はめちゃくちゃ円滑にコミュニケーションできるんですよね。ツーカー。私は父がだいたい何言いたいかわかるし、父も私が言わんとしてて言わなかったことがだいたいわかってる。

 

それが、母と私、母と父だと結構会話大変なんですよ。

 

母は大変じゃないかもしれないけど、私は大変。父に説明するより、だいぶ丁寧に説明しないと理解してもらえない。「え?なんでそうなるん?」みたいなこと結構ある。

父と母もときどきすれ違っていて、「あーここらへんが母はわかってないんだろうな」って、そういうのを見るたびに思う。こんなにコミュニケーションに支障出てて、母は普通に生きていけてんのかな?とまで思うときもある。

 

だから母がいわゆる「コミュ障」なのかなって思うじゃん。

 

でも母、自分のコミュニケーションスキルに自信満々なんですよね。

「普通〇〇じゃない!?」とか、「〇〇だなんてありえない!!」とかすぐ言う。父のこともめっちゃコミュ障ってdisる。私は父の方が圧倒的にコミュニケーションしやすいのに。

 

とはいえ、母はよく近所の人と喋ってるんですが、まあー仲良さげです。だから母の勘違いというよりは、積み重ねてきた成功体験で、自分が正しいと思ってるんだろうな、と。

 

ってことはだよ。

やっぱりIQ近い人って会話しやすいんじゃね?と思って。

まあ実際、私は母親より東大生の方が会話しやすいし、母は多分私よりも他の人のが話してて楽しいと思うしね。

 

 

 

というのを踏まえると、

 

IQ近い人同士は会話しやすい」

「世の中にはIQ100付近の人が一番多い(130超えは2%くらい)」

 

から、

 

IQが極端に高かったり低かったりするほど会話しやすい相手が減っていって、いろんな人と話すのにどんどんコミュニケーション力が必要とされていく……

 

そのコミュ力が備わる前に失敗体験を積み重ねたことで、引っ込み思案になっていく……

 

そうすると会話自体が嫌になり、怯えながら会話することで余計にコミュ障みが増す…………

 

 

え!!!悪循環すぎる!!!!!!かなしい!!!!!!!!

 

 

まあIQ20離れると~~~みたいなのを参考にするのであれば、IQ100の人は世間の70%とうまく会話できるのに対して、IQ140の人はちゃんと会話できるの10%とか15%とかそんなもんになっちゃうわけだもんね(統計弱い顔)。

そりゃしんどいわ。

 

みんな、強く生きようね。

 

 

 

あと、こうなると、コミュニケーションのトラブルを診断基準に含んでいる障害系ってどうなんだろうな、、、という気持ちになったね、、、でもIQめっちゃ高いASDの知り合い何人かいるけど、別に母親より喋りにくいと思ったことあんまないしな、、、

もちろん診断基準にはコミュニケーショントラブル以外もあるからなんとも言えないけど、置かれた環境によってもだいぶ変わるんだろうな、と思った次第です。

 

 

 

以上、散文でした。ADHDの記事じゃないけど、自分の中で自分のトラブルだと思ってる「コミュ障」と向き合う文だったのでこっちのカテゴリに入れてみた。

 

四方八方に失礼な文章ですみません。

映画『プロメア』と、この世に存在する一人のバーニッシュについて(ネタバレあり)

注意:ネタバレあります。

というより、そもそもこのエントリーが、全編見た人じゃないとよくわからないかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あのスクリーンに囚われていた1時間と50分、私はバーニッシュだった。

名を、クレイ・フォーサイトと言う。

 

 

 

私には、ADHDという診断名が下されている。

ADHDという発達障害(あるいは発達傾向)の大きな特徴は「多動」「注意欠陥」「衝動性」と言われていることは、もしかしたらご存知の方が多いかもしれない。だが、そこにもう一つ──あるいはその三つの症状を支えるものに、「感覚過敏」が存在することはご存知だろうか?(注:これは私がそう言われただけなので、万人共通で感覚過敏が存在するのかは知らない。興味を持たれた方は是非調べてください)

 

私の感覚は敏感だ。具体的に言うと、聴覚と触覚と嗅覚と味覚が。

聴覚が敏感だから、一つのことに集中できない。触覚が敏感だから、腕と足がむずむずしてじっとしていられない。嗅覚が過敏だから、味覚が過敏だから──。そして強い刺激を受け続けたタンクはいつか暴発し、衝動的な行為に走る。まるでプロメアだ。

その罪深さに気がついたのは、私が小学2年生のときのことだった。

 

 

 

私は焦った。

隣の子はじっとできているのに、私はできない。友達は突然不機嫌になったり、叫び出したりしない。先生は手や足を突然かきむしったりしない。

そして私よりもひどい発達障害を抱えたあの子は、人を殴ってみんなに疎まれている。

 

なりたくなかった。バーニッシュに。

来る日も来る日も、物を投げつけたくなる衝動に耐えた。今日の服のタグのせいで首をナイフで突き刺したくなったとしても、じっと唇を噛んで我慢した。教室がうるさくてうるさくて仕方なくても、そのせいで頭が痛くなって、元凶である友達を殴って黙らせたくなっても、頭を押さえて耳を塞いで、ギリギリのところでこらえた。

だってあの子みたいになりたくないんだもの。

みんなみたいになりたかったんだもの。

この衝動は、この世にあってはならないものだったんだもの。

 

 

 

じきに私は、言葉という炎を覚えた。

言葉は便利だ。言葉は自由だ。口から、手から、指先からほとばしる言葉という炎は、誰に咎められることもなかった。言葉を書き溜めたノートと小説を打ち続けた未送信のメールの数だけがどんどん膨れ上がり、私の情緒は少しずつ安定していった。

その頃には私の感覚過敏は急成長し、ただの刺激だけではなく、人の感情までもをどんどん溜め込んでいくようになった。テレビで見聞きした誰かの話。本で読んだ何かの話。電車で私の足を踏んだ会社員の視線、誰かをあざ笑う友達の声、親に殴られて泣いている友達の顔、手を繋いで幸せそうに笑う恋人の姿。自分一人で抱え込むには、あまりに強大なエネルギーだった。私はそれを全て、言葉という炎に変えていった。

私は毎日何かを貯めては、炎に変えていく。喜怒哀楽によって巻き起こされる衝動は私の燃料になり、武器になり、後には小説という燃えかすが残った。某青い鳥のSNSを始めてからは、140文字の短い短いブログも燃えかすの一つに加わった。他にも歌やスピーチやディスカッションなど、たくさんの燃えかすを私は手にした。

1年がすぎ2年がすぎ、私はピザを焼いて幸せに過ごせると思っていた。

 

そして、私の左腕は暴発したのだ。

 

 

 

言葉は残酷だ。

私の放った言葉で、私の大事な大事なひとが燃えた。溜め込んだ自分の衝動のままにその人を詰り、泣き叫び、大量の燃料を生かして炎を悠々と操った私は、その人の心が折れるおとを、きいた。

ああ、違うんだ。違うんだ聞いてくれ、今のは私の、私の中の衝動が、火が、火が、火がぜんぶ、火がわるかったんだ、いやだ、いやだ、だって、わたしはあれだけ、

 

なりたくなかったんだ。バーニッシュに。

 

この暴発はそれはそれは大規模だった。私は自分の大事なひとだけではなく、周囲のいろんな人が私の言葉で燃えていたことをそこで初めて知った。高校1年生のときのことだ。

私が泣くごとに誰かが燃える。私が怒るごとに誰かが焼け死ぬ。溜め込んだ燃料を論理という武器に乗せたときの私の威力は凄まじかった。

言葉は万能じゃなかった。人に向ければ誰かの心が死ぬ。振り回したらその場が焼け野原になる。恋人を燃やし、友達を燃やし、親を燃やした私は、左腕を封印することを決めた。怒ることをやめ、言葉を慎重に慎重に選んだ。自分が間違ってもう誰かを燃やさないように。誰も傷つけないように。解放できない燃料が溜まるにつれて、少しでもプロメアの蓄積を遮断するため、本もテレビも見なくなった。毎日周りの様子を伺い、一言発するたびに怯え、家に帰るとずっと今日火傷をさせてしまったかもしれない人について考えた。

ごめんなさい、ごめんなさい、バーニッシュでごめんなさい、冷やしてあげられなくてごめんなさい、

怖いよ、

怖いよ、

怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い、どうかもう私を喋らせないで、

 

 

 

私は、バーニッシュは、悪だから

 

 

 

いつしか私は、バーニッシュに憎悪と憐憫の視線を向け始めた。

同じように発達に苦しむ人を、導いてやる義務があると思った。

私は毎日、炎を出さないように細心の注意を払った。暴力から言葉まで全て堪えた。「ADHDには見えない」と、そう言われて喜んだ。そりゃあそうでしょう。だって私はこれだけ頑張ったんだもの。

あなたは努力が足りない。なぜ人を殴る?なぜ人を傷つける?かわいそうに、努力の足りないあなたに私が努力の方法を教えてあげましょう。ああそうね、みんなに疎まれて悲しいね、わかるよ、だから私がいつか活躍できる場所を用意してあげるね。

炎を出したい気持ちはわかるよ、わかるよ、

だけどちょっとだけ、あなたには努力とこの世における役目が足りないのよ。

 

 

 

 

 

 

──さて、この映画は1時間57分の映画である。

 

 

 

私は残りの7分間も、バーニッシュだった。

だが、私の名はもうクレイ・フォーサイトではない。

 

私の名は、リオ・フォーティアだった。

 

 

 

「あなたは、そうやって生きなさい」

 

大学1年生のときだった。私と出会った1人の教授は、私にそう笑いかけた。確かフェミニズムに関する授業だったと思う。

この授業では、ディスカッションが許されていた。少しずつ少しずつ握りしめた左手を開いていく私を、クラスメイトは許した。ともに火を出し合い、綺麗な炎がそこに生まれた瞬間には拍手が巻き起こった。その授業の総括で、私は「これから先も、私はマイノリティとして、背筋を伸ばして生きていきたい。同じ境遇にいる人たちのために、言葉で障害物を焼き払っていきたい」と告げた。

恐る恐るみんなの顔色を伺いながら発したその言葉に、教授は大きく頷いた。

 

「素晴らしい。私はあなたに、是非そうやって生きて欲しい」

「権利獲得は戦いだ。私も女性として、言葉を操り、いろいろな人を不快にさせた。傷つけた。それでも負けていられなかった。私の魂を汚されるわけにはいかなかったから」

「あなたは素敵な言葉を持っている。そしてあなたは、自分たちの魂を汚されるまいとする覚悟を持っている。そういう人を、Living Exampleと言います。二つを兼ね備えた、本当にわずかな人にしかできないことです。みんなを導きなさい。あなたの後ろに続く人を増やしなさい」

「あなたは傷つくでしょう。そして誰かを傷つけるでしょう。もしかしたらあなたの表面はズタボロかもしれない。それでも覚えていて。その戦いの先にあなたが守り抜いた魂は、間違いなく高潔なものですよ」

 

 

 

ぽん、と心臓に一つ、三角形が飛び込んできた。

 

 

 

燃えた。私は燃えた。なりふり構わず燃えた。五感に飛び込んでくるものを溜め込み、たくさんの火を吐いた。私の後ろに続く人を守るための火を、まだ生まれていないバーニッシュを抱きしめる火を。私はたくさんの人間と話し、140文字の小さなブログで物事を発信し、学生弁論の場で演壇に立ち、小説を書くことを再開した。

私は人を傷つけたりしない。バーニッシュは無益な殺生は好まない。

ただ、聞こえるんだ。過敏な感覚から飛び込んでくる、たくさんの声が。

少しでもその声を、解き放ってやりたいんだ。

 

それがたとえ、自分ではないものに操られているだけだったとしても。

 

 

 

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この自分語りの掃き溜めみたいな文章を、ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

 

私を知っている人、あるいは前のエントリーを読んだ人ならわかると思いますが、この文章は半分は本当で半分は嘘です。

当然ながら私はマッドバーニッシュの親玉になんかなれていないし、フォーサイト財団のトップにもなれていません。その辺にぼんやりと生きている一人のエキストラくらいの人生だと思います。

ADHDと診断されていて、感覚過敏で苦しんでいるのは本当だけれど、こんなにわかりやすく人生がクレイからリオへと突然移行したりもしていません。

 

それでもこの文章を書いたのは、映画『プロメア』に、もう一回、三角形を突きつけられたからです。

 

 

 

クレイ・フォーサイトになりたくて仕方ない、たくさんの知り合いたちへ。

 

 

辛いよね。わかるよ。あなたは飛び込んでくるたくさんの感覚を処理しきれないでしょう。暴れ出したいでしょう。普通になりたいでしょう。普通になれたとき、努力が実ったことに手を叩いて喜びたくなるでしょう。そしてそうではないたくさんのバーニッシュを、きっと見下すでしょう。

私の中でもまだ、クレイは確かに生きている。ADHDに見えないと言われて喜ぶ私は確かにここにいる。

 

私はあなたたちにリオになってほしいとは言わない。ピザ屋の兄ちゃんになってほしいとも言わない。私はもう、私の都合のいい存在になってくれるあなたたちだけを認めたりしない。クレイの生き様は苦しいだろうけれど、あなたがそれを選ぶというのなら、私はいつだってそれを応援する。

 

でも、どうか忘れないでほしい。

あなたたちの、私たちの火が──あんなにも美しいということを。

 

 

 

プロメアと違って、ADHDの衝動は燃やし尽くせば終わりというものではない。だからリオやガロが導いてくれてはい終わり、なんてことは多分ない。わからない、もしかしたらそういうこともあるのかもしれなくて、私たちはまだただただ燃やすしかない時期なのかもしれないけれど、おそらくこれは、一生付き合っていくべきものなのだと思う。

だからこそ、余計に私たちは──否、私は胸を張らなくてはならない。

この炎が、私たちの誇りであるということに。

 

 

 

 

 

 

『プロメア』という作品をこの世に生み出してくださった方々、私に炎を分け与えてくれた教授、そしてこの雑文を最後まで読んでくれた皆さんに感謝を。

8/27 今までの話。

はじめまして。りえです。いまは大学一年生をやっています。

表題の通り、この前精神科でADHDの可能性が濃厚と診断されました。

自分の大学で「当事者研究」という研究分野にいる教授の方にお話を聞くことができ、いつかそのような分野で働けたらいいなと思い日記をつけ始めることにした次第です。

また、それを公開することで似たような経験をしている方の一助となれば良いと考えております。

 

というわけで、簡単に箇条書きで、今までの話。

 

・小学校入学前くらいの頃 貧乏ゆすりが目立ち、親に軽い苦言を呈されることが増えた。

・小学校一年生の頃 周囲とうまく溶け込めず、いじめられることが多かった。集団の中にいると一つの音に集中できず、様々な音を同時に拾ってしまうため、よく周囲の言葉を聞き返しており、集団で会話するのが苦痛だった。(これらの現象はいまでも続いている。)

・小学校三年生の頃 教室でじっとしていることが苦痛になり、教室に入ると時折めまいや呼吸困難を起こすように。(おそらくパニック症状。)

・中学校一年生の頃 授業をおとなしく聞くことができず、先生のうち何人かと頻繁に喧嘩するようになった。体育や合唱の練習の時間にじっとしているのが大変だった。

・高校二年生の頃 教室内でのめまい・呼吸困難が悪化。

・高校三年生の頃 式典でじっとしている際にもめまい・呼吸困難が発生。貧血気味なのも相まって、式典中に倒れることが増えた。卒業式は欠席。

 

ここまでが今年に入るまでの流れです。ここから今年。

 

・4月頃 教室でじっとしていることの苦痛、大学内を歩くときにたくさんの音を拾ってしまうことの苦痛、またそれ以外のストレスなども相まって抑うつ状態と不登校に。

・5月頃 ADHDを疑い始める。以前から親に示唆されていたことではあったが、不登校故に真剣に考え始めるようになった。自分の大学のバリアフリー支援室というところに相談に行く。映像授業の導入を検討してもらうことになる。

・6月頃 精神科にかかる。映像授業は厳しいとの返答。その後バリアフリー支援室とのコンタクトは途絶えている。

・7月頃 検査結果よりADHDの可能性が濃厚と判明。

・7月下旬 処方された薬が合わず定期テストを欠席。

・8月上旬 コンサータ服用。吐き気・食欲不振等の強い副作用により日常生活を続けることが困難になったため服用中止。(個人差あります。副作用がないひとはないそうです。)とはいえコンサータ自体の効き目は実感した。いままで座って勉強するのがとても苦手だったが、コンサータ服用時はいくらでもじっとして勉強することができた。

・8月下旬 感覚過敏の制御を目的として、エビリファイ服用。身体を起こしていられないほどの吐き気と頭痛が続き、服用中止。吐き気は一日半ほど続いた。エビリファイ自体の副作用か、単なる病気なのかがはっきりしないため、別日にエビリファイを服用してからもう一度確認をしようかと思っているが、予定が詰まっておりなかなか機会が訪れない。

 

簡単に覚えている限りでこんな感じです。

変化があればまた更新します。